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2007年3月10日 (土)

男性は女性の敵か

昨日,日本テレビの番組「太田総理」で、男女差別の問題が取り上げられていました。

テーマはずばり、レディースデー的なものを廃止すべきか否か。

といっても、「太田総理」は(編集のせいか)ひとつのテーマについて議論するのではなく、そのテーマをとっかかりに、それをとりまく諸問題をパネラー陣が自由に語る番組のようです。なので、考えるのには適していませんが、いろいろな角度からいろいろな発言がなされるので、よく「あっ、そうそう!」なんて思ったりします。

昨日も、確か・・・太田総理の発言だったかな?

「レディースデーを必要と思う女性も、そうでない女性もいる。つまり、男女平等論者の女性も一枚岩ではない。」

まさしく、その通りだろうと思います。

わたしの日常経験からいえば、もちろん根本的に男女平等であろうとする強い女性もいますが、それは少数派。「女性らしさ」(あるいは「男性らしさ」)が好きな女性、男性が大多数のように思えます。

例えば、男性が女性を送ること、男性が食事代を支払うことはよくあることですが、逆がないからといって怒る人はいません。むしろ、そうしない男性は、気の利かない「ダメンズ」とされることもあります。

だからといって、社会制度や採用や昇進といった公共性の高い分野で男女差別があってはいけません。でも、「らしさ」を大切にする人や、まもってあげたい男性、まもってほしい女性が多い以上、それが社会に反映されるのは当然です。

男女平等という流れは、誰もが反対できない強い風潮となっていますが、太田総理の言うとおり、実は(というか当然)その中身はバラバラです。なので、男性は、「一方で平等といっておきながら、他方でレディースデーの恩恵を受けて、女性は都合よすぎ!」とか思ってはいけません。もちろん、世の中都合いい人は少なくないですが、いろんな女性が言っているいろんな意見だと理解すべきです。

女性の意見に限らず、この種の意見は、男性の間でも見解が分かれますよね?

要は、どういう社会がいいかという多数決の問題で、男性の意見対女性の意見という描きやすい構図が間違いなのです。敵は、意見の異なる相手なのであって、男性ではないのです。

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